他人に認められたいという呪縛から自由になろう
人に好かれたいと思うことは代償を伴う
人に認められたいと思っても、他人はめったに私たちを認めてくれない。他人から認められるためには、彼らが認めてくれるような行動をとらなければならない。
その結果、他人によく思われたいと決意した瞬間に、私たちは思いどおりの生き方をする自由を失う。他人から認められようとすると、自分の自由の一部を犠牲にしなければならないことがよくあるからだ。『人生がうまくいくとっておきの考え方』
(ジェリー・ミンチントン 著/PHP研究所) より ※
じつは、社会人になったばかりの頃は他人に認めてもらおうと必死でした。
仕事はまるっきり出来ないのですが、それでもなんとか役に立つ存在だと認めてもらいたくて、かなり無理をしていました。
考えてみると、子供の頃から「認めてもらいたい」という気持ちは強かったんですよね。学校でいい成績をもらいたかったのも、先生や親に誉めてもらいたかった(認めてもらいたかった)からだと思います。
こういうこと、心当たりはありませんか?
でも、他人から認められるたいという気持ちが強すぎると、自分の望みとは違うことをやらなくてはいけない状況になるんですよね。
自分の望みではなく、他人の望みを優先させているうちに、自分が何を望んでいたのかわからなくなってしまいます。
私たちは他人に認められたいと思うと、彼らに依存することになる。
この状態は精神的不安定の原因になる。
自分のことは自分で判断するように心がければ、他人の気まぐれな態度の影響を受けることはない。他人に認められて有頂天にならないし、批判されても落胆しなくなる。
要するに、他人に好かれようと好かれまいと、永続的な精神的安定が得られるということだ。同書より ※
先週ご紹介した「ウッフィー」を増やそうとするときも、自分を認めてもらおうとすると、逆効果で「イタい人」になってしまいますよね。
(「ウッフィー」を増やせているだろうか?)
(「イタい人」にならないために)
「他人に認められたい」と思うと、思いどおりの生き方をする自由を失い、他人のきまぐれにふりまわされて精神的不安定の原因になり、さらに、「イタイ人」になってしまう。
なんだか、踏んだり蹴ったりですよね。
他人に認められたいという呪縛から自分を自由にしてあげてはどうでしょう?
自分のことは自分が認めてあげる。
そして、「認めてもらおう」ではなく、「喜んでもらおう」とがんばろう ってことです。
(※ 文中の強調はコボリの編集です)
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